テクニックの本質を考える

テクニックとは、その対象(例えばスポーツや人間関係)で成功したり円滑にことをすすめる目的で使わないといけないものだ。

十余年前、フットサルの本を読んでいたときにテクニックに関する記述を目にした。そこにはテクニックとは、あくまで試合で勝つために使うものだということがいわれていた。
この意見には深く納得した。
フットサルやサッカーのテクニックというと、見た目が派手なものが目立つことが多い(駆け引き系のテクニックは見た目が地味なので目立たないし、サッカーをあまり知らない、興味ない人に見せるには価値が薄いと思われる)。

だから私はその派手なテクニックをすると目立つという理由で、練習中に挑戦したこともあった。そこに試合に勝つという目的は一切なかった。試合に負けても
テクニックを使いたいなら、団体競技であるフットサルやサッカーにこだわることはない。

派手なテクニックも地味なテクニックも、すべては試合に勝つというところまで通じていなければならない。

人間関係のテクニックにおいても同じだと思う。モテテクなども、面白いと感じるものもある。しかし、それは本当に人間関係を円滑にするためのものなのか。
利己的なものになっていないか。振り返って考えたい。