逃げた先にも道はある。

逃げた先にも道はある。 あなたの人生、続けたいのなら逃げてしまっていい。 でも、逃げても人生は続く。道は続くんだ。続いてしまうんだ。 それが楽しいか、そうじゃないかはわからない。そのことだけは忘れないでください。

体育会系のノリに救われた話

このブログでは体育会系を散々叩いてしまっている。

しかし、そんな私も体育会系のいい点である面倒見の良さ(この表現が適切かはわからない)に救われたこともたくさんある。

今日はそんな話をしたい。

 

箸の持ち方が良くなかった。

 

それは、内定者懇親会の夜だった。

内定者の仲間と会社のお偉方と、会場である会社の保養所でご飯を食べていた時のこと。

会社のお偉方(以下、A部長)が、内定者の箸の持ち方のジャッジを始めた。

B山は大丈夫、C田は微妙、D口はいいね、といった具合に近くにいる内定者に告げる。

そして私の番が来た。

「微妙」というジャッジだった。

気づいてはいた。しかし、握り箸ほど汚い持ち方ではないし放置していた。

心のどこかに引っかかりつつ、数年放置することになる。

 

数年後。

会社の先輩たちと飲みに行った先での出来事。

「お前なんだその箸の持ち方!直せ!」

その年に異動して来た先輩から言われてしまった。

しかしその時も、私は酔ってるからだろうなと思い大して気にせず放置してしまった。

 

明くる日、その先輩と食事する機会があった。

「だからお前それ直せって…!お客さんと食事いって、お客さんの前でそれ(箸の持ち方)はないよ!」

 

ハイ…

その後も事あるごとに指摘を受けた。

ずっといわれるのもつらいし、先輩にいわせてしまっているのも悪い。

ついに私は決心した。

 

矯正箸を買おう。

でも、矯正箸って子供用のイメージしかないな。探そう。

あっさり発見した。

通販で買った。

 

最初は持ち方を覚えるのがややしんどかった。手も疲れる。そして矯正箸以外では正しい持ち方ができない。そんな状態だったものの、気づいたらちゃんと持てるようになったし、以前よりは確実に良くなった。

 

少し時は経ち、先輩も気づいた。

矯正箸を買ったと告げた。

 

しかし、お礼をいったかは覚えていない。

この場を借りて申し上げたい。

何度もいわせてしまってすいません。

ありがとうございました。箸の持ち方を直せて良かったです。

 

大人になると、プラスな面をつくるというよりいかにマイナス面を目立たせないかが問われる時があると思う。箸の持ち方が良くてマイナスになることはほとんどない。そういう面でも良かった。

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全く同じものを持っています。597円です(筆者確認時点の価格)。

 

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マイノリティほど笑顔でいないといけないのか

http://lite.blogos.com/article/220782/

 

この記事を読んだ。

記事の内容には同意した。不機嫌な態度をとるのは幼稚さのあらわれで、職場に害をもたらすというものだ。

 

その通りだと思う。

 

最近映画を見た。黒人が出演していた。

その黒人は陽気な振る舞いをしていた。

その時ふと思った。不機嫌な態度をとっている黒人を見たことがあるのだろうか。悪役をのぞいて。

もしかしたらあるのかもしれない。しかし、私の記憶からは消えている。

この機嫌の良し悪しはあくまで一例である。フィクションの中のマイノリティは、マジョリティが望む態度に応えるようなものになっているのではないか。

では、現実はどうか。フィクションとそんなに変わらない気が、している。

 

 

 

無料というマジックワード

人類は、無料という言葉に影響される。スーパーフライデーや三太郎の日が最近話題になったように。

 

「あいさつは無料でできる」とか、そういう表現をする人々もいる。

しかしそれらのことに対して疑いを抱いてしまう。

その場で追加のコストがかからないのは確かである。

しかし、何らかの形でその行為に対するコストは前払いされている。あるいは後から回収される(フリーミアムのビジネスモデルが一例だ)。

スーパーフライデーや三太郎の日がわかりやすいと思う。なぜ牛丼やドーナツが無料なのか。それは顧客が高い料金を携帯キャリアにすでに支払っているからだ。それを原資に無料という体でサービスを提供しているにすぎない。

あいさつなど、人間関係に必要かつ好印象のために必要な無料でできる行為も同じだと思う。無料というのは見せかけで、それを普通に行うには適切な教育だったり、しっかり食事を摂るとか環境に恵まれていることが条件だ。様々な「前払い」をしているからしっかりとしたあいさつができるのだ。他の行為に入れ替えても同じことがいえると思う。

世の中本当に無料のものは太陽の光とか湧き水とか、そういう自然のものでないと存在しないと思う。にもかかわらず、無料という言葉に釣られてしまう。自然なものを除いて、無料という言葉の裏には何かが潜んでいるということを肝に銘じたい。

部活って奴隷養成所だよね

www.buzzfeed.com

年始にこの記事を見て思った。

部活って奴隷要請所だな。

褒める文化なんてほぼほぼないだろう。

特に運動部は指導という名の意味ないしごきや場合によっては体罰もある。

それをさも意味有りげにやるので、年端もいかない子どもたち(といっても高校生・大学生の場合もあるが)は洗脳され、

“あのときはつらかったけどあれを経験したから働き始めた今はどんなことがあっても耐えられる”

などと生存バイアスかかりまくりのたまたま強くて生き残っちゃった人が抜かすわけ。

例を挙げるなら広島の方にいる男気あるプロ野球の投手とか(注:何の恨みもありません黒田さんごめんなさい)

で、それが美談として扱われる。その美談の裏には耐えられなかった人がめちゃくちゃいることを知ってか知らずか…

なおかつその人が「指導者」なんかになった日にゃもう大変。同じこと繰り返すよね。

というか、指導者ってあくまで指導する役割を担う人なだけで、本質的には指導される側との上下関係はない。とはいえやさしい言葉、態度だけではうまくいかないこともあるから、厳しくやってしまうことで「上下関係のようなもの」が発生するときもある。

ただ実際は指導者やってると敬われるから、勘違いする人が圧倒的に多いのだろう。

でも、叩く、殴るは何があってもダメだろ。

そもそも上下関係はないのだ。叩く、殴るはその人を下だと思っていないとできない行為だと思う。

最後に「部活って奴隷要請所だな」と私がもっとも感じた瞬間を記す。

とある友人がいる。彼はあるスポーツを高校まで続けており、時には水を飲むなと言われたり(平成の話です)、当たり前のように殴られる環境に身をおいていた。

友人と話していた時、「昔がんばったこと」の話題になった。

私は高校からあるスポーツの団体を自分でつくり、活動していたのでそれを話した(部活は中学でドロップアウトした)。

それを聞いた友人は、ひとこと「でも、それって遊びだよね。」

上記したような彼のバックグラウンドを考えると、否定的なニュアンスにしか感じられなかった。

遊びで何が悪いのだろう?

楽しくやろうとすることが悪いと 

思っているのだろうか。

本質的にスポーツは楽しむものだと思う。

そこに部活動という要素と、なんでも「道(どう)」化させてしまう(※この「道」化の説明は後ほど)日本人が絡まり根深い問題となっている。

 

何でも道にしてしまう日本人――これは2011年頃「ニートの海外就職日記」というブログを運営していた海外ニート氏の言葉である。現在は閉鎖されている。原因はアンチによって個人情報が特定されそうになったことを案じたためだった。当時からやはり賛否両論あった。

茶道、柔道、剣道など日本伝統の「道」がある。気高い精神を養ったり自己実現ができたりするものだが、日本人はそれを労働やその他いろいろなものにも持ち込んでしまうのだという。

部活動も部活“道”になってやしないかと心からおもう。

以下はTwitterにある彼のブログから引用したbotのツイートである。これを見たら理解いただけるはず。

 

 

 

 

 

このアカウントを見つけた瞬間、光の速さでフォローした。

あと、海外ニートさんもいってるけど「たかが仕事」“Job is shit!”だから、今本当につらい人はあなたの生存を最優先に考えて。

 

柔道事故

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部活があぶない (講談社現代新書)

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ブラック部活動 子どもと先生の苦しみに向き合う

ブラック部活動 子どもと先生の苦しみに向き合う

 

 

語られないことにこそ、本当の闇がある

例えば女性の問題で専業主婦の無賃労働問題に触れた人がいたとする。

もちろんそれは触れるに値するトピックである。

しかし、専業主婦にもなれない層も確実に存在する。

語られる問題も問題だけど、語られない部分にも闇はたくさん潜んでいる。

 

人間関係で消耗していた

仕事上の人間関係で消耗していた。

過去形なのは、これは約1年前に書いたものだからだ。

現在はその当時よりマシになっている。

以下、続きます

 

人となるべく関わらない仕事をしたいと思うも、そうもいかない現実もある。
 
コミュニケーション・コストを払うことを俺は異常に避けてしまう。
自分自身が消耗してしまうことを極端までに恐れている。その態度が、時に人間関係を悪化させたり、疎遠になったりしてしまう気がする。
 
また、コミュニケーション・コストを払われる(と感じる)のも嫌だ。が、実際は払われていると思う。いわゆる「気を遣われる」というものだ。
できることならいつもいい表情をしていたい。しかし、できない。気付いたらたぶん険しい表情になっている。
 
可能な限り機嫌よさそうにしていたい。