無料というマジックワード

人類は、無料という言葉に影響される。スーパーフライデーや三太郎の日が最近話題になったように。

 

「あいさつは無料でできる」とか、そういう表現をする人々もいる。

しかしそれらのことに対して疑いを抱いてしまう。

その場で追加のコストがかからないのは確かである。

しかし、何らかの形でその行為に対するコストは前払いされている。あるいは後から回収される(フリーミアムのビジネスモデルが一例だ)。

スーパーフライデーや三太郎の日がわかりやすいと思う。なぜ牛丼やドーナツが無料なのか。それは顧客が高い料金を携帯キャリアにすでに支払っているからだ。それを原資に無料という体でサービスを提供しているにすぎない。

あいさつなど、人間関係に必要かつ好印象のために必要な無料でできる行為も同じだと思う。無料というのは見せかけで、それを普通に行うには適切な教育だったり、しっかり食事を摂るとか環境に恵まれていることが条件だ。様々な「前払い」をしているからしっかりとしたあいさつができるのだ。他の行為に入れ替えても同じことがいえると思う。

世の中本当に無料のものは太陽の光とか湧き水とか、そういう自然のものでないと存在しないと思う。にもかかわらず、無料という言葉に釣られてしまう。自然なものを除いて、無料という言葉の裏には何かが潜んでいるということを肝に銘じたい。